「しんぶん赤旗」2009年10月10日付(6・7面)より


一から考える八ツ場ダム問題


 前原誠司国土交通相が中止を表明した八ツ場(やんば)ダム(群馬県)の建設をめぐって、中止か継続か、住民の生活はどうなるかなど、国民的な議論となっています。同ダム計画とはそもそもどういうもので本当に必要なのかどうか、いま中止したらどうなるかなど、一から考えてみました。


そもそも何?

 八ツ場ダム予定地は群馬県長野原町の吾妻(あがつま)川の中流、国の名勝「吾妻峡」の中にあります。吾妻川は利根川水系の上流にあたり、全国屈指の名湯、草津温泉はさらにその上流部にあります。

 八ツ場ダムは利水と治水を主な目的としています。同ダム工事事務所のホームページでも「洪水から暮らしを守り、首都圏域の水需要を支えます」と宣伝しています。

 完成すると、茨城、群馬、埼玉、千葉、東京に水道水を供給する予定です。このダム事業で、関係する1都5県(東京、埼玉、千葉、茨城、群馬、栃木)は約1460億円の負担金を支払います。

 ダム計画のきっかけは、カスリーン台風(1947年)です。同台風のような「200年に1度」とされる規模の大雨に備える目的を持っています。

 建設省(当時)は52年に現地調査に着手しましたが、地元住民は計画に猛反対。計画は一時、休止状態にありました。住民は福田赳夫元首相ら地元選出の自民党国会議員を陳情の窓口にして、ダム反対の意思をたびたび表明しました。

 しかし、自民党政権と自民党県政は、反対意見の陳情を受ける一方で、計画を推進。反対派の切り崩しを展開しました。

 前原国交相の発言がクローズアップされがちですが、自民党のこうした対応にも住民の不信の元凶があります。


▼カスリーン台風
 1947年9月に関東、東北地方を直撃し、1都5県で浸水戸数が約30万戸、家屋流出倒壊が2万3700戸余、死者1100人という大きな犠牲者を出しました。


▼森林の保水効果
 八ツ場ダム計画のきっかけとなったカスリーン台風は戦時中の森林伐採で、山の保水力が低下していた時期に起きました。

 洪水対策を考える場合に、現在の森林の回復状況を踏まえることが必要ですが、国交省の調査には反映されていません。

 塩川鉄也衆院議員は、06年3月の衆議院予算委員会で、群馬県の森林蓄積量が約50年間で5.4倍に増加したことを指摘し、再検証を求めました。


利水治水に疑問

 国交省が水供給の必要性をうたう八ツ場ダムですが、同ダムから受水予定の1都4県では、すでに水余り状態です。

 東京都は現在でも1日当たり630万トンの水源を持っています。さらに多摩地域で水道水として利用中の地下水をあわせると700万トンを超える水源を保有していることになります。

 一方で、水の利用は減少傾向です。2005年以降は、500万トン前後で推移しており、約200万トンの余裕が常にある状態なのです。

人口は減少

 同様に他の4県の保有水源と、最近の1日最大水使用量を比べてみました(グラフ)。1人当たりの水使用量を400リットルとした場合、1日800万人分の水が余った状態です。

 水余りは、さらに進んでいくと予想されます。国立社会保障・人口問題研究所の「将来の都道府県別総人口」によると、八ツ場ダム完成予定の15年に千葉、埼玉、茨城、群馬では、すでに人口減少が始まる見込みです。東京でも20年をピークに人口減少へ向かいます。

 水余りにもかかわらず、各都県が八ツ場ダムの水源開発に参加するのは、人口増加を前提にした計画を立てているからです。

 現実からかい離した過剰な水源開発は、水道料金に転嫁され、市民負担を生みます。千葉県佐倉市のように、八ツ場ダムが完成すると水道料金の50〜60%引き上げが見込まれている自治体もあります。

 八ツ場ダム建設のもう一つの目的、治水はどうでしょうか。

 同ダム計画の原点は、カスリーン台風規模の「200年に1度の大雨」に備えるとしたものでした。

 しかし、国交省が主張する八ツ場ダムの治水効果は、実際の洪水をもとに検証したものではありません。

 その実例が07年9月、群馬県西部を直撃した台風です。カスリーン台風並みの雨を降らせましたが、吾妻川流域での水量は、国交省の予測を大幅に下回りました。

過大な宣伝

 また本紙が情報公開で入手した「利根川浸水想定区域図」でも国交省の過大な宣伝が明らかになりました。

 同省はこれまで、利根川上流に200年に1度規模の大雨が来ると「毎秒2万2000トン」の水が、中流の八斗島(やったじま)地点(群馬県伊勢崎市)の河道を通ると宣伝してきました。

 ところが情報公開資料では、八ツ場ダムがない現状でも、1万6750トンにとどまると同省自身が試算していたのです。この水量では、水位は上がるものの堤防の下2メートルを流れていく程度です。

 ダム建設より急がれるのは、堤防強化などの河川改修による基本的な治水対策です。

 利根川水系での河川改修予算は1998年の1051億円から07年には495億円まで半減。ダム予算が増加傾向にあるのとは対照的です。


▼「暫定水利権」とは

 暫定水利権とはダムを造る前提で一時的に許可された取水権のこと。八ツ場ダム事業に参加する県には、すでに開発された農業用水を冬期だけ転用しているところがあります。

 群馬県の大沢正明知事は「暫定水利権は終わる」と発言。同ダム建設を中止すると、暫定水利権が取り消され、水不足が起きるかのように主張しています。

 しかし同ダム建設を中止してもこうした水源が存在していることに変わりはありません。しかも冬期の農業用水は農閑期で余裕があります。

 今ある十分な水源をいかし、水利権の運用を改めれば、同ダムを中止しても解決可能な問題です。


中止はムダか

 八ツ場ダム建設中止をめぐっては「継続するより中止の方が高くつく」「事業費の7割も使ったのだから、完成させた方がいい」という議論が起きています。

 しかし、「7割」というのは使った金額のことで、ダム本体工事は未着工なうえ、事業費の大幅な増額も予想されています。

 国交省が説明する同ダムの総事業費は4600億円(03年に2110億円から増額)です。しかしこのほかにも「周辺地域対策特別措置法」と「利根川・荒川基金事業」から約1300億円の支出が加わります。その利息を合わせると約8700億円という膨大な支出が見込まれます。

 工事費は、今年3月末までに3210億円を支出。残り1390億円で、ダム完成にこぎつけるのが困難なことは同省自身も認めています。

 2004年5月に行った市民団体との意見交換会。同省の出席者は「できるだけコスト縮減に努めるということであって、4600億円は最終日標を示したものではない」と発言。さらなる増額の可能性を示唆しました。

 また同ダムが完成すると近隣の東京電力の水力発電所に減産する電力分の補償をしなければなりません。

 補償額がどれくらいになるのか、同省は「どれくらいの規模、期間を補償の対象にするのか、協議はこれから」とのべており、まったく未知数です。日本共産党の伊藤祐司前群馬県議の試算では、東電への影響額が30年分で数百億円となっています。予算超過は必至です。

 ダムの完成予定は2015年。現在、付け替え道路の工事が70%(3月末時点)まで進んだと同省は説明しています。

 しかし、その多くは未完成部分で、国道で完成しているのは600メートル分、わずか6%。県道は2%にすぎません。代替地の完成も遅れています。こうした状況をみれば、さらなる工期延長と増額は必至です。


生活再建の道は

 前原誠司国交相が建設中止を表明したことに、地元の住民は複雑な思いを口にしています。

 こうした思いの背景には、地元住民が30年近く反対の意思表示をしてきたのに、国と県の圧力で押し切られた経過と生活再建の道がいっこうに見えてこないことにあります。

 ダムに水没する川原湯地区や川原畑地区では、「現地ずり上がり方式」として、現在地より標高の高い場所に地域ごと移転する方法がとられました。

 ところが2001年に完成するはずの代替地が10年に延期。さらに15年へと再延期となりました。

 こうした中で、水没予定地の住民の7割ほどが町外へ転居し、地域は衰退。地元に生鮮食品の店がなく、温泉旅館では、移転を前提にしているため建物の建て替えができず、修理でしのぐ状況です。

 川原湯温泉街で働く男性(57)は「代替地で隣近所のある共同体を作り直したい」といいます。ダム計画が地域を壊してきた影響ははかりしれません。

 ダム建設を推進してきた国と県の地域再建策の柱は、ダム湖を中心にした観光です。

 しかし国の名勝、吾妻渓谷の一部を破壊してつくるダム湖で、観光客が増えるかは疑問です。ダム上流部には草津や嬬恋(つまごい)などの観光地も多く、牧畜がさかんです。こうした排水が流れ込むダム湖では、藻の異常繁殖や水質悪化の恐れが指摘されています。

 いま国に求められるのは、地元の要望に真撃(しんし)に耳をかたむけ、関係者への補償措置と生活再建・地域振興策の具体化をすすめることです。


▼吾妻渓谷の自然/特別天然記念物も生息

 八ツ場ダム建設予定地の吾妻渓谷では四季折々の美しい渓谷を見ることができます。周辺には国の特別天然記念物のニホンカモシカ、絶滅危惧(きぐ)種のイヌワシ、クマタカ、危急種のオオタカが生息しています。こうした希少生物への影響が懸念されます。

 同ダム建設にあたっては1985年に環境アセスメントを行っていますが、環境予測や保全対策に割いた記述はわずか11ページ分。データ不足が指摘されています。

 国交省は専門家による環境評価委員会を開催。しかしこの委員会の出席者のほとんどが名前も肩書もわからない匿名の「専門家」によるもの。その公正さに疑問の声があがっています。


ぬぐえぬ地滑りの危険

国土問題研究会理事長・京都大学名誉教授・奥西一夫さん

 私は八ツ場ダム建設差し止めを求める住民訴訟で証人に立ちました。

 八ツ場ダム建設には、技術的に見てもさまざまな問題があります。ひとつが地すべりの危険です。国土交通省が行った地すべり対策工事は、過去に地すべりのあったことが明確なところだけが対象です。それ以外は対象外とされました。ですから、八ツ場ダムは、必要な地すべり対策が不十分なまま、「建設ありき」で進められたのです。

 私は、住民訴訟で「八ツ場ダム湛水域斜面の地すべり危険度と地すべり対策の評価」と題した鑑定意見書を書きました。2003年に発生した奈良県「大滝ダム」の地すべり調査をもとに、過去に一度も滑動したことのない斜面が地すべりを起こす「初生地すべり」が八ツ場ダムでも発生する危険があることを指摘しました。

 初生地すべりの予測は難しいものですが、発生危険度が高い傾斜面などはある程度わかります。その斜面の対策工事を行えば、非常に多くの追加費用がかかります。

 もともとダムをつくるのは無理といわれているところに、「ダム建設ありき」で計画を進めたのであり、地すべり対策をきちんと行うとすればダム建設工事費はますます膨らみます。


住民の疑問にこたえ合意づくりの仕組みを/塩川鉄也議員にきく

 八ツ場ダム問題解決の先頭に立ち、この間も現地調査を行ってきた日本共産党の塩川鉄也衆院議員にききました。

    ◇  ◇  ◇  ◇

日本共産党は国会の論戦でどんな主張をしてきたのですか。

 ――2005年2月25日の衆院予算委員会第8分科会では、八ツ場ダム建設の根拠となっていた「利水」と「治水」についてただしました。国土交通省の河川局長から「カスリーン台風のときのような雨の降り方にはダムの効果は期待できない」という答弁を引き出しました。

 この答弁は、早くから八ツ場ダムに反対してきた水源開発問題全国連絡会などの運動を大きく励ましたと聞いています。

 この間、川辺川ダムや淀川水系ダムなど全国で住民参加の徹底や環境優先、ダムに頼らない治水など、河川行政の転換を求める流域住民の運動が大きく前進しました。

 国会議員団として08年10月に、金子一義国交相(当時)に「ダム建設ありき」を改め、「流域住民が主人公」への河川行政へ転換するよう申し入れ、その中で八ツ場ダム建設を直ちに中止するよう求めました。

 申し入れでは、地元住民の生活支援の問題を重視し、ダム建設が中止された場合、国が住民の生活再建と地域振興に責任を持って取り組むよう求めました。

 民主党が国会では「八ツ場ダム中止」を主張しながら、茨城などの県議会で建設工事費の負担金増額の議案には賛成して、「民主本部と県連ねじれ」(茨城新聞8月9日付)と報じられるなかで、日本共産党だけが、国会でも地方議会でも八ツ場ダム中止の論戦をすすめてきました。中止を求める市民団体とも交流を重ね、住民と一体の運動をつくり、その力が新政権による建設中止表明に結びついたと思います。

今の時点で政治に何が求められるのでしょうか。

 ――現地の住民にとっての一番の願いは「とにかく問題を早く終わらせてほしい」と言うことです。長い反対運動の末、ダム受け入れを決断し、またもや国の政策変更で暮らしが左右されることへの怒りは当然です。そのことを理解し、真撃(しんし)な謝罪が必要です。