<第174通常国会 2010年04月09日 内閣委員会 5号>



○塩川委員 日本共産党の塩川鉄也でございます。
 国家公務員法一部改正案について質問をいたします。きょうは、幹部人事の一元管理の問題について中心に質問したいと思っております。
 最初に、大臣に、この国公法におきましての規定でございますが、三十三条の任免の根本基準、そして七十五条の職員の身分保障の規定、この三十三条と七十五条の意義は何か、この点についてまず質問させていただきます。

○仙谷国務大臣 国家公務員の世界においては、職員の任用が客観的、公正に、受験成績やあるいは客観的な評価に基づいて行われなければならないし、免職についても、法律に定める事由が必要だということが原則的に書かれておりますし、いわゆる免職には今申し上げたような合理的な理由が必要だ。七十四条は分限の規定でありますから、「すべて職員の分限、懲戒及び保障については、公正でなければならない。」これが原則である。
 私も、まさに人事というのは公正で客観性がなければならないし、分限というふうなことをするのはよほどのことがなければ人事権者が行ってはならないということは、その原則はわかっているつもりでございます。

○塩川委員 人事の公正性、客観性が必要だという話でございます。
 三十三条につきましては、国公法の代表的なコメンタールの「逐条国家公務員法」でも、任用について、特にその根本基準として成績主義の原則がうたわれている。その第一の理由というのは人事の公正さだということでございますし、七十五条の身分保障との関係でいえば、やはり情実あるいは猟官によるようなスポイルズシステムではなくて、入り口の、採用の場合での競争試験を実施して情実を排除するということと、採用された者が恣意的かつ不利益にその職を奪われることがないように制限するということも公務の中立性、安定性の確保のために必要だと。
 そういう点では、いずれにしても、この公務の中立、公正性の確保のために三十三条あるいは七十五条が規定をされている、これは当然のことながら幹部職に対しても当てはまることだと思いますが、確認の御答弁をいただけますか。

○仙谷国務大臣 原則はそのとおりだと思いますが、ただ、その解釈、運用が棒をのんだような機械的なものになると、これはもう年功序列でいくしかないとか、そういう話になってくる。特に、制度というのは、成熟するというのは腐敗と裏表でありますから、特に人事はそこによほど気をつけて、公正を強調し過ぎる余りこれが形式的な平等、形式的な公正さみたいなところに堕してしまうと、つまり堕落してしまうと、全く人事が死んでしまう。
 その逆が、やはりポリティカルアポインティー制度でも公正な運用というのはできるし、しなければならないと私は思っておりますが、それを極度に政治的、あるいは、ひどい話になると猟官運動、猟官的な活動に迎合するような人事がもし行われるとすれば、その干からびた形式主義的人事の対極には、利益を伴った不正な猟官に対応する迎合人事みたいな話になってくるんだろうと思っております。
 それはともに排さなければ組織自身が生き生きとよみがえらないだろうな、こんなふうに考えて今度の提案をしているところであります。

○塩川委員 原則はそのとおりというお話でございました。
 この三十三条については、三年前の国公法の議論の際に、勤務成績の部分が人事評価に書きかえられるということで、私どもは公正性が後退をしたと考えておりますけれども、法の枠組みとしては、この人事評価が公正に行えれば国公法の原則が維持されるという建前になっております。
 今回の改正は幹部職を対象とするものですけれども、その改正の中身というのはまさにこの任免の根本基準にもかかわるもので、憲法の原則にもかかわる問題でもありますので、この点について質疑の中で検証していきたいと思っています。
 そこで、幹部職の任用について、今回の改正案では、次官級、局長級、部長級を同一の階層とみなして、これまでは昇任、降任だったものを、この幅の中では転任とすることによって、事実上、幹部の昇任、降任を容易にするものだ、そういう中身でございます。
 二〇〇七年の改正国公法では標準職務遂行能力を定めてございます。それぞれの任用はこの標準職務遂行能力とその官職への適性によって行うとされているわけですが、そこで質問ですけれども、この次官級、局長級、部長級の標準職務遂行能力というのは、現行、どのような違いがあるのか、その点についてお答えいただけますか。

○仙谷国務大臣 非常に細かい御質問でございますので、時間がかかってもよければ、ここに「標準職務遂行能力について 平成二十一年三月六日 内閣総理大臣決定(抄)」、この一覧表がございますので、読み上げてもよろしゅうございますが、要するに、もしなんでございましたら、現在の標準職務遂行能力についての書きぶりは後でこれで見ていただければいいと思いますが、あらあら言いますと、現行の国家公務員法においては、職制上の段階に応じて、標準的な官職は政令で定めております。標準的な官職の職務を遂行する上で発揮することが求められる能力として、この能力を先ほどお示しした能力表で書き分けているところでございます。
 部長の能力は、課長の能力とは相当程度の差がある一方、部長、局長及び事務次官の標準職務遂行能力については、倫理、構想、判断、説明・調整、業務運営、組織統率といった共通する項目について少しずつ書き分けを行っているところであって、私どもとしては、その個人差も含めれば、一グループにして差し支えない、そういうふうに判断をしているところであります。

○塩川委員 私、この点は事前に質問内容ではお伝えしているものですし、細かいというよりも、大事な点ですのでお尋ねしているわけですから、しっかりと御答弁いただきたいと思っています。
 お話ありましたように、それぞれ次官級、局長級、部長級においては、この標準職務遂行能力に違いがあるわけです。当然のことながら、次官級というのは、例えば倫理におきましても、部局を横断する課題や府省の重要課題について職務を遂行することができる、これに対して、局長級であれば、局の重要課題に対応してできる、部長級であれば、担当分野の重要課題に対応してできるということでありますように、当然のことながら、それぞれの職階に応じた標準職務遂行能力というのが定められているわけです。
 今回の改正で、この幹部職の標準職務遂行能力が一つのものになるというふうに承知しておりますが、そのとおりでよろしいでしょうか。

○仙谷国務大臣 幹部については、適格性審査を経れば、標準職務遂行能力は全く同じということになろうかと思います。

○塩川委員 それで、実際、この標準職務遂行能力を統一するということになりますと、どういう標準職務遂行能力を定めることになるのかということなんですが、これは、どういうものに統一する、どういうラインに設定するとお考えでしょうか。

○仙谷国務大臣 先ほどからお示ししているように、現時点では、少しずつ書き分けて定められているということでございます。
 これからは、この職務遂行能力が同一といいましょうか、同一レベルということになりますから、個々の官職への任用に当たっては、さらにこの上に、一元管理の仕組みの全体の中で人事配置がされるということになります。
 したがいまして、私どもは、この事務次官、局長、部長について、同一の職制上の段階に属するとみなすわけでございまして、こういう定め方が経験上も合理性を欠くとは全く考えていません。

○塩川委員 それをこれから議論していくわけですけれども、まず、この標準職務遂行能力は一つにするということでよろしいですね。
 その上で、では、どういうものをつくるのかということの中身を教えていただきたいんです。

○仙谷国務大臣 ちょっと質問の趣旨がよくわからないんですが、中身というのは、文字で書きあらわす中身ということですか。(塩川委員「そうですね」と呼ぶ)
 それは、多分、法案がつくられてから、総理大臣決定ということになっていますから、総理大臣のもとで、現時点の制度ですと、総務省が補佐をして標準職務遂行能力というものをつくるんだろうというふうに考えています。
 ただ、現時点で、例えば倫理についてのところを見ると、事務次官と局長と部長、今議員が御指摘になっているように、「部局を横断する課題や府省の重要課題に責任を持って」というのが事務次官で、局長が「局の重要課題に」ということになっておりまして、部長が「担当分野の重要課題に」ということになっておりますが、これは、書き方として、全部重ねて書くか、それとも、部局を横断する課題及び局の重要課題、担当分野の重要課題にいずれも責任を持って取り組むとともにというふうな倫理観があるかどうかということであれば、要するに、どこまでの外延と内包の中に入ってくるのかということであります。
 要するに、今までですと、部長は担当分野の重要課題に責任を持って取り組めるかどうか、局長は局の重要課題に責任を持って取り組めるかどうか、事務次官は部局を横断する課題や府省の重要課題に責任を持って取り組めるかどうかでありますが、部長でもそういう横断する課題や府省の重要課題に責任を持って取り組んでいる、そういう方々もいらっしゃるし、その能力がある方々も相当数いらっしゃると私は見ております。
 早い話が、四十を超えた方々ぐらいですと、経験年数がそのぐらいになると、日本の官僚諸君は皆さん本当はおできになる。こういう細かい、わざと違いをつくるために文字に書いてあるだけだという程度のことしか私は思っておりませんので、これは、一つのグループの標準職務遂行能力ということで見れば、書き方はいろいろあるんでしょうけれども、今の日本の、特にキャリアの方々でいえば、どのことをとってみて書いても、そのことに当てはまる方の方がほとんどじゃないか、そんなふうに思います。

○塩川委員 これは幹部候補者名簿に載せる、その際の基準の話でありますので、そういう点では、適格性審査を行って、それにかなった人が幹部候補者の名簿に載るわけです。その際に用いるのがこの標準職務遂行能力であるわけですけれども、それが、今お話しのような、だれでもオーケーみたいになる、そういうような話だったら、幹部候補者名簿そのものの妥当性が問われるんじゃありませんか。
 六百人からのプールをつくるということであれば、どこかで線を引くとなったときに、次官級の標準職務遂行能力となれば、それは枠がはまりますから、部長級レベルの標準職務遂行能力の線で何らか統一せざるを得ないというふうになってくると思うんですけれども、いずれにせよ、それは、幹部候補者名簿を議論していく上で、幹部人事の一元管理を行う上での大前提の話として、この標準職務遂行能力がどういうような文面で行われるものなのかということについてきちっと示していただきたいということであります。

○仙谷国務大臣 そういういいかげんな話ではなくて、先ほどから出ております、この適格性審査を官房長官のもとで、民間の有識者あるいは人事の経験を持った担当者等々のお話を聞いて、基準を示しながらこの審査を行っていくわけであります。
 そういうときに、私は、ほとんど、部長以上の方々については、これほど書き分けて意味があるような話ではなくて、統一的にちゃんと書ける、書く、こういうふうに分析的に書こうとすれば書けると思いますが、そのお示しいただきたいというものは、現在のところ私の仕事ではないものですから、官房の方に、こういうものをいつごろ用意できるかということは問い合わせてみたいと思っております。

○塩川委員 どういうものがあるのか問い合わせてみたいという話ですから、ぜひ委員会として、審議の上での前提として、この標準職務遂行能力、統一するということであればどういうものを示すことができるのかという、まあ、そのものとは言いませんけれども、考え方なり、基本となるようなものをぜひ委員会に提出いただきたい。この点について、ぜひ委員長としてもお諮りいただきたい。

○田中委員長 お諮りいたします。
 ただいま塩川君から請求のありました職務遂行等についての資料等については、理事会に諮って検討させていただきます。

○塩川委員 出していただく方向で対応いただきたいと思っておりますので、その点について、ぜひお願いいたします。
 そこで、先ほども言いましたように、実際には部長級のラインで設定せざるを得ない話になってくるんですが、ぜひ具体的な、政令になるのか、政令案であれば、そういうものの提出を待ってぜひ議論したいと思っています。
 その上で、三つの段階が一つになるわけです。そこで、現行におきましてこの標準職務遂行能力がどのように人事評価に使われているのかという点について、この点は総務省の所管だと承知をしておりますので、この標準職務遂行能力は人事評価にどのように使われているのか、この点について、渡辺副大臣にお答えいただけますか。

○渡辺副大臣 現在実施している能力評価において、職員が発揮した能力を評価するための評価項目として活用しているというのが役所がつくったペーパーでございまして、本音のところで言いますと、私は、非常にこの能力評価は難しいんじゃないのかなというふうに思っています。
 しかし、この中で、業績評価は可能だろうと。この六類型、客観的に判断しにくいものばかりなんですけれども、六つの例示の中の一つの「業務運営」については、こう書いてあります。「国民の視点に立ち、不断の業務見直しに率先して取り組むことができる。」と書いてあります。国民の視点というのは、イコール納税者の視点でありまして、政権交代して、三役に言われて初めて業務見直しに着手したような例がかなり散見されるわけでございまして、納税者の視点、国民の視点に立っているとは言いがたいのじゃないのかなというのが本音でございます。
 例えば、一つ例を挙げますと、法令のデータベース化を進めていますと言いながら、OBのいる団体から一冊九千円もするような法令集を何百冊と膨大に買っているんですね。これは非効率じゃないか、浪費じゃないかと言ったら、見直しますなどということができるわけなんですね。
 ですから、私は、正直言って、客観的に能力評価できないものが非常に多いんですけれども、そういう意味では、業務評価をする上においては、やはり業務運営で国民の視点に立っているかどうかということを一つには基準として考えていくべきだろうというふうに思います。
 導入されてまだ一年そこそこでございますので、正直なところ、人事評価に活用されているかどうかということについては、まだまだこれからを見てみないとわからないということでございます。

○塩川委員 これをさらに変えようという話ですから、架空のものにさらに積み上げるようなことであっていいのかというところは当然残ります。
 今お話しのように、人事評価に当たっての能力評価に生かされているんだということであります。ですから、現行の人事評価のシートを見ますと、事務次官用のがあり、局長用のがあり、部長級のものがそれぞれあるわけですね。それぞれが、それぞれ対応する標準職務遂行能力についての倫理とか構想とか判断とか、説明・調整、業務運営、組織統率という項目で書き分けられて書かれているものになっているわけであります。ですから、そういう形でいえば、それぞれのクラスに応じた人事評価をすることになっているわけです。
 そこで、お尋ねしたいんですけれども、今現在も、実際、能力評価は難しいという話でしたから、そういうものを聞くのもなんですが、率直に言って、現在の抽象的な基準で、恣意性が入り込むようなそういう余地が大きくて、公正中立な評価を行えるかどうか疑問ですけれども、そういうものを、今まで少なくとも三つに分けていたものをさらに一つにすることで行われるわけですから、ますます抽象的な基準にならざるを得なくなるんじゃないのかと思うんですが、御見解をお聞かせいただけますか。

○渡辺副大臣 これから当然議論をしていくべきでありますが、例えば、ここにある倫理、構想、判断、説明・調整、これは、この分野においてはどういう能力というようなことを客観的に判断するというのは、なかなか難しいんだろうと思います。ただし、今申し上げたように、業務運営において、国民の視点に立っている、そして不断の業務見直しというものに意欲的であるということは、やはり一つの考えるべき基準なのであろう、評価する基準なのだろうと私は思います。
 それ以外の点について、なかなか、「部下の志気を高め、組織を牽引し、成果を挙げる」とか、これは、だれもが、選ばれしエリートの方々ばかりですから、当然、上に立つ者は部下の士気を高めるなどというのは当たり前のことでございます。これを、だれかがどういうふうにして能力として採点するかというのはなかなか難しいんですが、そこはやはりいろいろな、比較的客観的に判断し得るように、恣意性の入らないような形で判断できるような形で進めていくべきことであろうというふうに考えております。

○仙谷国務大臣 理屈でおっしゃればそうかもわかりませんけれども、では、一体全体、一年ごとに、そのなかった能力が、つまり、局長としての能力がまだこの人はないから部長におる、その人が一年後に局長になって、一年後に次官になる。一年後にそういう能力ができるというのは、いかに考えても僕は不合理だと思うんですね。
 もともとその能力がある人が、今は年功序列のもとで、じっと順番を待っているのか、あるいはそのうちの何人かが間引かれるのを待っておるのか、そういう体系で今は来ている。今の、能力評価がまずあって、審議官以上はみんな能力がある人だと今までのところで評価をされてきて、その中であとは時を待っている、こういう話だと思うんですね。そうしないと、一年後に何か急に全体を見渡せる能力がついて、それまでは全体を見渡せる能力がなかったなんて、そういう荒唐無稽な話には僕はならないんじゃないかと。それで、現に、そのクラスの方々を見ておりましたら、どこへ持っていってもできますよ、ほとんどの方は。よほどのことがない限りできますよ。
 だから、ある意味では、先ほど申し上げたような、本当に極端なというか、嫌らしい党派性とか政治性とか、そういうことを排除するためにどうすればいいのかというふうなことの方がむしろ問題になるんじゃないかと私は思っております。

○塩川委員 いや、抽象的な基準であればあるほどポストにつける際に恣意性が介在するんじゃないのかということが問われてくるんじゃないですか。私はそこのところを問うているわけです。
 さらに言いますと、この人事評価をだれが行うかという話になります。ですから、職制上は次官、局長、部長が、今度丸めて変わりませんから、そういったときに、そうはいっても現行でいえば、次官は局長の、局長は部長の人事評価をすることになると思いますが、それはそういうことですよね。

○仙谷国務大臣 聞くところによりますと、今は省庁が統一した評価の方法を定めてないようでございますけれども、これは三百六十度評価というふうな話がまずは前提になって、それから直近の上司が見て、さらにはその上の上司が見て評価して記録に残すというのがまずは評価の出発のところで、総合的な評価ということになりますと、それはさっきどなたか、甘利先生でしたか、あるいは中川先生でありましたか、ちょっと忘れましたけれども、いずれにしても、恣意的といえば恣意的、好みといえば好み、ウマが合うかどうかといえばウマが合うかどうかみたいな、そういうところは、それは全くそういうものをそぎ落として人事をやるということになってくると、目をつぶって鉛筆投げるか、それとも年功序列も厳格な年功序列でやるか、何かそういう形式論にならざるを得ないんじゃないでしょうか。

○塩川委員 いや、でも、そういうことが、現状とすれば、恣意性が介在することによって党派的な人事が行われるんじゃないかという懸念になるわけですから、そういう点でもこの成績主義というのは原則として今まで掲げられてきたわけで、そういう点でも今のお話というのは看過できない話だと思いますよ。
 それで、お聞きしたかったのは、それぞれ、標準職務遂行能力が一つという、そういう中で、しかし、直近の上司が人事評価をするということなんですけれども、でも、その直近の上司であれ、標準職務遂行能力上、同じなんですよ。同じ能力の人が同じ能力の人を判断するという仕組みになっているんですね。そこにまともなチェックが可能になるかどうかということが問われてくるんです。その点はいかがですか。

○仙谷国務大臣 人事評価というのはそういうものだと私は思っております。
 さっき塩川議員のおっしゃられたことは、僕に言わせると、きれいごとの、建前のもとで、本当は嫌らしいやり方で人事が決まっているということの方が今までは多かったんではないんでしょうかということが、むしろ反論として、この人事問題については行われるんじゃないんでしょうか。
 僕は、私の身近で、この霞が関で生活をした方と、知っていらっしゃる方もおりますけれども、最後になって本音を聞き出したら、やはりそこのところはありますよね。だから、余り、建前上の、きれいごとがあっても実態がどうなのかということがやはり次の問題で、そういうことをどういうふうにしてフィードバックするのかということを考えた方がむしろいいのではないかということを私は思います。

○塩川委員 であるからこそ、しっかりとした、どういうものを考えているのかを示していただきたいということであるわけです。
 標準職務遂行能力についても、ぜひ、どういうものをお考えなのかを示していただきたいと思っていますし、そういう点では、標準職務遂行能力を一つにするという点で、あいまいな基準の上に、同じ標準職務遂行能力の段階の人が同じ段階の人を評価するという点では、二重の意味で、合理的な人事評価の体系の体をなしてないと言わざるを得ません。ですから、その全体像を示していただきたいんですけれども。

○仙谷国務大臣 三百六十度評価がまずあるんですね。これは部下がまず評価するわけですね。同僚も評価するわけですね。そんなことは人事評価としてはあり得ないとおっしゃるならともかく、まずそこから始まると。そして、直近の部下、これが同レベルの人でありましても、仕事上というか、職制上、上下の関係にある場合、あるいはライン的にそういう関係にある場合には、あなたが同レベルと言っても、一応は上司の立場に立つわけですから、その人の直近の上司も、またその上も、もちろん評価があった方が総合的に評価というのはなされるんじゃないんでしょうか。
○塩川委員 先ほど渡辺周総務副大臣が、業績評価は可能かもしれないが能力評価は難しいという話もされているわけですけれども、そういう点では、能力評価そのものが本当に可能なのかどうかという点は問われてくるんじゃないでしょうか。
 私は、そういう点でも、現行のものさえが非常に問題があるのに、さらにそれに加えて、あいまいなものにするという方向が、率直に言って、人事において恣意性が介在することになるということを拡大するものになるということを指摘せざるを得ません。
 お尋ねしますけれども、この幹部職の昇任、転任について、改正案の六十一条の三第二項によれば、「職員の昇任及び転任であつて、幹部職への任命に該当するものは、任命権者が、幹部候補者名簿に記載されている者であつて、職員の人事評価に基づき、当該任命しようとする幹部職についての適性を有すると認められる者の中から行うものとする。」とある。職員の昇任とか、転任という名の事実上の降任を決める基準というのが、標準職務遂行能力に加えて、幹部職についての適性についてですけれども、この幹部職についての適性というのは、どういう基準、客観的な基準をもって示すお考えですか。

○仙谷国務大臣 どういうお答えをすれば御納得いただけるのかわかりませんが、適性は適性であるというふうに私は思います。
 つまり、幹部職の適格性審査を受けて幹部職になった人のうち、今度は何とか国際局長に適性があるかないかという観点から、この名簿の中からその任命権者及び官房長官、総理大臣が選んでいくということを、多分ここに、例えばそういうことについて記載がある。
 だから、おのずから、局長であろうが部長であろうが、任命権者が適性があるとなぜ判断したのかというのは、判断をした人の個性によっても能力によっても少々差が出てくるかもわかりませんけれども、適性というのは、任命権者なり、あるいはその任命をするについて協議をする任命権者と官房長官、総理大臣、そこが、この職にはこのキャリア、この実績、あるいはこの人格とかネットワークとかであれば立派な業績を残してくれるだろうというふうに判断するのが適性についての判断ではないかと私は思います。

○塩川委員 そういうキャリアとか実績とか人格とか、お話しされるそういうものが全体としてどうなるのかというのを示していただきたいんですけれども。

○仙谷国務大臣 ちょっと十二分のお答えができるかどうかわかりませんけれども、それを外形的に示すというのは、全く示せないわけじゃないでしょうけれども、実際の人事として、それが各ケースにどのぐらい妥当するのか妥当しないのかということとはまたちょっとレベルが違う話ですし、すべてを網羅できるようなものをつくろうと思うと、またまたおっしゃるように、非常に抽象度が高く、言語の包摂度が高くというか、外延を広くするみたいなことになってきて、それほど生産的な意味があるようには私は思いませんけれども、おっしゃっていただいておるので、ちょっと頭の中で検討をしながら、私のスタッフと、スタッフというのは政務三役と議論をしてみたいと思います。

○塩川委員 この点でもぜひお示しいただきたいと思っています。
 これまでの幹部の人事については、職員一般の人事と共通で、人事評価によって標準職務遂行能力と任命しようとする官職の適性の二つが基準とされてきたわけですけれども、幹部職についての適性に客観的な基準が見られません。
 人事評価についても、二〇〇七年の国公法の改悪で導入された能力評価というのが、ただでさえ中立性、公正性に大きな疑義があって恣意的な評価の危険性が排除できないものであったわけですけれども、今回のお話をお聞きしていても、こういう前回の改悪の際の建前でも存在していた標準職務遂行能力という基準さえ幹部職の中ではあいまいにされるわけで、これではやはり幹部職の評価が中立公正に行われるとされる建前上の前提さえなくなるんじゃないのか、このことを強く指摘せざるを得ません。
 この点についての考えを最後にお伺いして、きょうのところは区切りにしたいと思います。

○仙谷国務大臣 人事、とりわけ幹部人事についての考え方とイメージが大きく違うな、そういうふうに私はきょう塩川議員と議論をして感じました。

○塩川委員 終わります。