<第177通常国会 2011年04月12日 総務委員会 9号>



○塩川委員 日本共産党の塩川鉄也でございます。
 参考人の皆様には、それぞれの立場から貴重な御意見を賜り、ありがとうございます。
 早速質問をいたします。
 野田参考人に、まず何問かお聞かせいただきたいと思っています。
 専門家の方のお話でも、被災地において必要なのがイショクジュウだと言われます。その場合のイというのは医療的なケア、またショクは職業、ジュウは住まいでありますが、同僚委員の質問の中から、就労ですとか住居の質問もありました。
 そこで、お尋ねしたいのが、心身ともに医療ケアについて、現状がどうなっていて、課題がどういうものがあるのか。その辺、現地の避難所の生活が一カ月以上にわたるという中で、保健師さんあるいは看護師、医師の方などのいろいろな支援もあると思うんですけれども、市長の立場で、そういう医療的なケアで今必要なことは何なのか、その点についてお感じのところをお聞かせいただけないでしょうか。

○野田参考人 災害が発生した当初は、市の職員も不眠不休で、コンクリートの上で段ボールを敷きながら頑張ってまいりました。医師の皆さんも同様に、各避難所を回っていただきながら対応していただきました。この場をかりて厚く御礼を申し上げたいと思います。
 岩手県は、医師の確保、医師の招聘ということで従来から努めてまいりましたけれども、医師数が非常に少ない地域でございまして、いわゆる医師過疎、医療過疎という地域として今日まで至っております。そういう中で今回の災害が発生したわけでございますので、地域の皆さんにとりましては、今御指摘のとおり、大変大きな課題の一つになっております。
 幸い現在は、赤十字の皆さん初め大学の医師団の皆さん等々大勢の皆さんに、医療チームを組んでいただきながら沿岸の方に来ていただいておりますので、そういう意味では、現在は何とか確保されているのではないか、このように思っております。
 ただ、先ほど申し上げましたとおり、中核病院であります、直接名前を申し上げますと、うちの方では岩手県立釜石病院が地震のために三階、四階、五階が使えないという状況になっておりまして、入院患者は全部盛岡の方に搬送しております。それから、大槌病院は浸水しまして、これも使えない状況でございます。山田病院も使えません。陸前高田の病院も使えないという状況になっております。
 したがって、何とか今は応援していただける医師団の皆さんの協力によって保たれておりますが、これから今後のことが大変心配でございます。何とか、沿岸の場合は県立病院が中核病院になっておりますので、その中核病院の今後のあり方、地域医療を守るという視点からきちんと確保していただきたいと思いますし、また医師団の皆さんにおかれましても、ぜひこうした地域になお一層目を向けていただきながら、協力していただける仕組みをつくっていただきたい、このように思っております。

○塩川委員 ありがとうございます。
 今後、まちづくりを考えた際に、住民の皆さんのさまざまな御要望、御意見を踏まえて取り組んでいかれることが必要になってくると思います。その点で、まちづくりに当たっての住民参加の仕組みづくりといいますか、こういうことについて、現状、いろいろ今後に目を向けるときに当たって、市長としてお考えのところ、行政の方で具体化しようと思っているところがございましたら、御意見をお聞かせください。

○野田参考人 うちの市では従来から、地域会議という名前でもって、地域の皆さんの代表者が数十名集まりながら、地域のことは地域が主体的に取り組んでいこうという仕組みをつくってまいりました。しかしながら、今回の津波によりまして、ほとんど流された集落、あるいは半減した集落等々がございまして、まずもって、地域会議そのものが現在では機能していない状況にございます。
 しかしながら、先ほどお話がありましたとおり、これからの復興ということを考えていきますに、やはり地域住民のそうした主体性、自主性というのが最も大事なことになるだろうというふうに思っておりますし、地域の皆さんも、そういう思いの強い方々がたくさんおられます。商店街の皆さん、地域の町内会の会長さん初め、あるいは水産関係、さまざまな各団体の皆さんと断続的な会議を開いておりますが、そういった中でも、積極的な住民参加の復興委員会のようなものをつくって取り組んでいきたいという御意見がございます。
 私としては、そういった仕組みを早急につくっていきたいということで、実は昨日、ちょうど一カ月目ということでございましたので、今後のまちづくりの基本方針というものを、あらあらでございますが、市民の皆さんにもお示しさせていただいたところでございます。
 復興のためのまちづくり委員会を設置し、なおかつ、先ほど申し上げました、地域住民の皆さんの意見も大いに参考にするということで、そうした地域会議、復興委員会のようなものを立ち上げていきたい、このように考えております。

○塩川委員 ありがとうございました。
 泉田参考人にお尋ねいたします。
 先ほどの意見陳述の中でも、被災地から多くの避難者の方、被災者の方、八千人の方を受け入れたというお話がございました。特に福島の原発事故の避難者の方が、かなりの人数で隣県に移ってこられております。
 そういったところで、こういった多数の避難者の方々について、短期間で戻れないような状況にあるといったときに、住居の確保ですとか、あるいは就労といっても、もとに戻って仕事をしたいという思いもある中で、なかなか選ぶに選べない、しかし当座の生活資金の確保も必要だ、そういった際に、被災地の県ではない隣県の新潟県としての支援のあり方ということについて、お感じのところがありましたらお聞かせいただけないでしょうか。

○泉田参考人 まず、お尋ねの、被災された方をどう支援していくかということなんですけれども、お気持ちのところがあるので、時間的なプロセスの中で考えていく必要があると思っています。
 ほとんどの方、特に原発周辺から避難された方は、二、三日で帰るというおつもりで避難をして、それが、避難地区が順次拡大をされた結果、県外まで来ることになってしまった。まさに着のみ着のまま来られていらっしゃいます。したがって、これが中長期にわたるのか短期にわたるのかということがはっきり示されない中で職業をどうしますかというのは、相当聞きにくい課題になっております。
 今、県で始めていますのは、張り出しをしています。説明会を開催して一律にするというのではなくて、もう新潟でしばらく生活されるという方には、こういうところもありますという形で始めています。
 少し中長期で、例えば数カ月になるのか数年になるのかという見通しがあれば、また別な支援もできると思っています。これは阪神・淡路からの報告もあるのですが、だらだらといきますとアルバイトしか仕事につけない、これで生活設計、人生設計が狂ってしまうという方も出られますので、中長期であれば、例えば農地を提供していく、漁業ができるような空き家と漁船も提供するというさまざまな支援ができるのですけれども、これはやはり見通しが必要だと思っています。
 最後に一言、新潟県も実は今回、震度六の地震に遭っていまして、十日町・津南地域で被災者が出ておりますので、少し記憶にとどめていただけると大変ありがたいと思います。

○塩川委員 ありがとうございます。
 次に、原発事故に関連して泉田参考人に伺いたいのですが、新潟県も、柏崎刈羽で一号機から七号機がございます。改めて、この原発事故を踏まえて、政府における原子力行政推進の経済産業省から独立した規制機関をつくる課題というのもありましょう。また、柏崎刈羽原発を一体どうしていくのか、こういうことも問われてくると思います。そういう点について、知事として今お考えのところがありましたらお聞かせいただけないでしょうか。

○泉田参考人 まず、エネルギー政策につきましては、やはりしっかりと今後議論していく必要があるというふうに思っています。
 その前に、今回の原災法、原子力災害対策法なんですけれども、縦割りになっているということで、大変問題が多いと思っています。
 原子力の専門家が、半径何キロは避難しなさいという形、屋内退避をしなさいということになっているのですが、それが自治体と連動していない。特に南相馬の方なんて本当にどうしようもない状況だと思うのですが、屋内退避になりながら、そこに物資が届く仕組みというのを構築していない。まさに経済産業省から官邸には直接上がるのですが、ではその屋内退避をした人の生活をどう支えるのかという総合法体系になっていないという問題があるわけです。
 これは、期間の問題、遠距離に避難をされた人の生活をどう立て直すかということも一切考えていない、まさに原子力の観点のみの法律になっていますので、被災された方の生活を立て直すという法体系に直していかなければいけない。エネルギー政策というのは、そういった全般の中でいろいろなことも含めてやはり考える必要があるということだと思います。

○塩川委員 ありがとうございます。
 続けて、泉田参考人と井ノ口参考人にお尋ねいたします。
 泉田参考人が、被災者支援のスキームの話として、物が壊れる程度に応じて被災者の支援内容が変わる、つまり住家の損壊状況によって被災者支援のメニューが変わってくる、そういう点でも、三月十一日時点で被災した人に着目した支援をという話がございました。
 また、井ノ口参考人が書かれました論文を拝見した中で、罹災証明書についての部分で、もともと罹災証明書は、一般的に、火災の被害を受けた際に保険金を受給するために、火災による被害の程度を示した証明書。災害発生時においてもこの仕組みが援用されており、行政より罹災証明書が発行され、災害によってどの建物がどの程度被災したかを証明するという話があります。
 つまり、現行の支援のあり方というのが、各種の被災者への支援メニューの活用範囲を定めるのが、住家の被害認定となっているわけです。その点が実際に現実とかみ合っていないんじゃないのか。例えば、長期の避難のような場合については、住家に損壊がなくても実際には困難な生活を強いられるわけですし、あるいは、首都圏などは、液状化の被害は大きいんですが、家屋はそのまま残っていて、しかし地盤が被害を受けて傾いてしまうというものについて、現行の認定というのがなかなか困難という問題もあります。
 そういう点でも、私、今回の大震災を契機に被害認定のあり方そのものを見直す必要があるんじゃないのかと考えているんですが、その点について、泉田参考人、井ノ口参考人にお尋ねいたします。

○泉田参考人 今委員御指摘のとおりだと思います。物に着目をしても生活は立ち直りません。そこには、日々のなりわいをどうしていくかという観点も必要です。地域全体で復興させるにはどうしたらいいのかという観点も必要です。縦割りで、物の壊れ方による資金使途の総量を抑えるための制度が今、パッチワーク的に戦後積み上げられてきて、問題点を噴出しているという状況だと思いますので、ぜひ、人の生活をどう立て直すのかという観点での特別立法を今回していただければとお願い申し上げます。

○井ノ口参考人 御指摘のとおりだと思います。今の罹災証明書はこうあるべきだということが明文化も基本的にはきっちりとされていなくて、結果的に、支援法だとかが適用される際に全壊だからこうというのが出てくるので、それで被害認定というのがされているのが現状かというふうに思います。
 ただ、建物被害だけではなくて、先ほど来お話も出ていますが、医職住との関連性だとか、もともといたところから離されることによってその後の生活が不安定になる、それが結局は災害に対しての被災だというふうなことを考えていきますと、必ずしも、おうちがつぶれるから生活が困難になり、それが被災者だというふうな枠組みでは今はとらえられにくくなってきているところです。
 今回の災害で一番最初に私どもが気にしていたことは、ではだれが被災者なのか、被災者とは一体何なのかという定義そのものの見直しをしていかないと、地震だから被災者、津波だから被災者というふうな枠組みだけではいかないのではないか。そういうふうなところも検討しなければいけませんし、その被災者定義をきちっとしなければ、皆さん自身が被災者なのかという判断あるいは認識というものがないと、その後の支援にもつながらないのではないかと考えているところです。

○塩川委員 ありがとうございます。
 最後に一問、長期避難を経験されました三宅村の平野参考人の御意見を伺いたいと思っています。
 実際、避難をされる際には、すぐ戻れるつもりで皆さん移ってこられた。ですから、本当に当座のものしか持ってこられなかった。そういう生活が実際には四年五カ月も続いてしまったわけで、その際に、やはり地域で支え合うコミュニティーの維持というのは本当に重要だったということだと思います。
 その際に、そうはいっても、都営住宅であれ、広域での避難となった中で、コミュニティーを維持した、村民の方々一人一人をしっかりと支えるような、そういった体制づくりということで、居住場所の確保のあり方とかコミュニティー単位の避難のあり方の問題とか、その点について、今教訓とすべきものがあればお聞かせいただけないでしょうか。

○平野参考人 当時、精神的な支援ということで我々が住民を支えてきたのは、二、三点、簡単にかいつまんで申し上げますが、まず、高齢者の支援センターの運営ということで、避難しております団地の中の一角の集会室を借りて、そこに高齢者を集めて情報提供をしていく。それから、看護師の訪問ということで、保母もそうですが、その人たちを中心に避難先を戸別訪問して、いろいろな情報提供、それからケアをしていくというような形。
 それから、まず一番最初にやったのが、情報連絡員制度ということをやりました。二十三区を含めて三多摩の方に、かなり広範囲の中で各団地に島民が避難しておりました。その中から、団地ごとに、A号棟のだれだれ、Aさんを情報連絡員と指名しまして、その人と行政とが太いパイプを結んで、情報をスピードを持って流していくというようなことで精神的なケアをした覚えがございます。

○塩川委員 ありがとうございました。