国会質問

<第193通常国会 2017年06月01日 議院運営委員会 31号>




○塩川委員 日本共産党の塩川鉄也です。
 天皇の退位の問題について、私たちは、個人の尊厳という日本国憲法の最も根本の精神に照らして考えるなら、一人の方に、どんなに高齢になっても仕事を続けるよう求めるという現在のあり方には改革が必要であり、退位を認めるべきと表明をしてまいりました。したがって、天皇退位の立法を行うことは賛成であります。
 立法に当たっては、現行憲法の象徴たる天皇の退位を初めて立法化するものであり、広く国民的議論を踏まえ、憲法の規定に適合するものとすべきである、そういう見地に立って議論をしてまいりました。
 官房長官に確認をいたします。
 日本国憲法は、象徴という天皇の地位は、主権の存する日本国民の総意に基づくと規定し、天皇は、この憲法の定める国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しないと規定しています。
 退位の立法は、この憲法規定に沿って行わなければならない、そういうことでよろしいですか。

○菅国務大臣 日本国憲法は、第一条において、「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」とし、そして、第四条において、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」と規定をいたしております。
 法律が憲法に適合したものでなければならないことは言うまでもなく、退位の立法措置を講ずるに当たっても、当然、これらの規定を含めて憲法に適合するものでなければならないと考えます。
 今回の特例法案は、憲法上の疑義が生ずることがないように十分に配慮して立案したものであり、憲法に適合したものであると考えております。

○塩川委員 今回の特例法案の第一条は、なぜこの退位法案をつくるのか、立法に至る事情を書いております。
 今回の立法が、昨年八月八日の天皇のお言葉を契機としていることは事実ですが、この点について、政府は、お言葉という文言を使用しませんでしたが、これは、お言葉に基づき立法することとすれば、憲法第四条第一項に違反するおそれがあるからですと説明をしております。
 そこで、お尋ねいたしますが、お言葉に基づいて立法することとすれば、憲法第四条第一項に違反するおそれがあるというのはどういうことか、御説明をお願いいたします。

○菅国務大臣 憲法の第四条第一項は、「天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」と、天皇の政治的権能の行使を禁止する旨を規定いたしております。
 昨年八月の天皇陛下のお言葉は、これまでの御活動を天皇として自ら続けられることが困難となるというお気持ちを国民に向けて発せられたものであり、退位の意向を示されたものでなく、天皇の政治的権能の行使に当たらないと考えております。
 しかしながら、昨年八月の天皇陛下のお言葉を今回の立法の直接の端緒として位置づけた場合には、天皇の政治的権能の行使を禁止する憲法第四条第一項に違反するおそれがあると考えます。したがって、そのような疑念が生じないよう、趣旨規定の中でお言葉という文言を使用しないこととしたのであります。

○塩川委員 お言葉を端緒とすると憲法違反のおそれがあるという御説明でした。
 法案には、御高齢になられ、御活動を続けられることが困難となることを深く案じておられると昨年八月のお言葉の内容を引いた上で、この天皇陛下のお気持ちを国民が理解し、共感し云々と書いております。
 お言葉を端緒とするとだめだけれども、お言葉の内容を書くのはいいということなのか。これは実質的には同じことではないのか。どのように整理しておられるのかについてお尋ねをいたします。

○菅国務大臣 繰り返しになりますけれども、昨年八月の天皇陛下のお言葉は、これまでの御活動を天皇として自ら続けられることが困難というお気持ちを国民に発せられたものであり、退位の意向を示されたものではなく、天皇の政治的権能の行使には当たらないと考えます。
 また、国民がこの天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感しているという現状は、この天皇陛下のお気持ちに対する国民の受けとめであり、天皇陛下のお言葉と直接関係するものではないと考えております。
 加えて、政府としては、国民的な議論が高まったことを踏まえて、予断を持つことなく検討を開始し、衆参両院の正副議長による議論の取りまとめを受けて、今回の法案を立案し、提出したものであります。
 こうしたことを踏まえれば、憲法第四条第一項に違反するものとは考えておらず、また、この法案の趣旨規定の中で天皇陛下のお気持ちや国民の受けとめという現状を記載することによって憲法上の問題はない、このように考えます。

○塩川委員 お言葉を端緒とすると憲法違反のおそれがあるが、お言葉の内容を引用するという形についてはそうではないということでは、国民から見れば非常にわかりにくい内容だと言わざるを得ません。実質的には同じことなのではないのか。
 天皇は政治的権能を持たない、政治に関与しないという原則を貫くなら、天皇陛下のお気持ちを云々するという、こういう表現については適切ではないと思います。天皇の退位を実現する理由については、高齢となり活動を続けるのは困難となるであろうという客観的な事実に基づき、天皇の退位について国民が理解を示しているということに立法事実を置くべきだと考えます。その点で、法案の修正が必要だと考えております。
 もう一つの問題は、この第一条には、国事行為のほか、象徴としての公的な御活動に精励してこられという記述があります。
 象徴としての公的活動、公的行為を法律に書き込むことについては、例えば、政府の有識者会議でヒアリングの場で発言をされた高橋和之東大名誉教授は、条文上はっきり書くというのは避けるべきではないか、憲法問題になると述べておられましたし、憲法学者の中では、国事行為以外を法律に書くことに疑義が出されております。
 そこで、いわゆる天皇の公的行為について質問をいたします。
 公的行為をめぐっては、そのあり方が国会でも議論になってまいりました。とりわけ公的行為が天皇の政治利用につながるという点であります。
 例えば、一九九〇年五月十七日の予算委員会では、盧泰愚韓国大統領の来日の際の議論が行われました。当時の工藤内閣法制局長官の答弁を引きますと、
 天皇の公的行為の場合にはそこで言う内閣の助言と承認は必要ではない。また、あくまで天皇の御意思をもととして行われるべきものではございますが、当然内閣としても、これが憲法の趣旨に沿って行われる、かように配慮することがその責任であると考えております。
 天皇の公的行為というのは、今申し上げましたような立場で、いわゆる象徴というお立場からの公的性格を有する行為でございます。そういう意味では、国事行為におきますと同様に国政に関する権能が含まれてはならない、すなわち政治的な意味を持つとかあるいは政治的な影響を持つものが含まれてはならないということ、これが第一でございます。第二が、その行為が象徴たる性格に反するものであってはならない。第三に、その行為につきましては内閣が責任を負うものでなければならない。かようなことであろうと思います。
このように述べておられますが、政府として、この立場に変わりはありませんか。

○菅国務大臣 お尋ねの内閣法制局長官の答弁においては、公的行為について、国事行為と同様に国政に関する権能が含まれてはならない、すなわち政治的な意味や政治的な影響を持つものが含まれてはならないという旨を答弁したものと承知をいたしております。
 公的行為に関するこのような考え方については、現在においても変わりはありません。

○塩川委員 天皇の公的行為に国政に関する権能が含まれてはならない、政治的な意味や政治的な影響を持つものが含まれてはならない、このような答弁でありました。その立場に変わりがないということであります。
 これが原則だと言われたわけですが、二〇一〇年、民主党政権下で、中国の習近平さんの来日の際の天皇との会見をセットするかどうかが問題になりました。
 このとき、野党だった自民党の谷垣総裁は、「特に天皇の公的行為は裁量の余地があって多様だから、天皇が政治的ないろいろなものに巻き込まれるようなことがないようにきちっとしたルールが要るのではないか、」「天皇が政治的行為に巻き込まれるようなことがないように、だから厳格なルールが必要だというふうに申し上げている。」と質問をし、政府統一見解を要求しました。
 これに対して出された二月十八日の政府統一見解は、公的行為の性格に応じた適切な対応が必要となることから、統一的なルールを設けることは現実的ではないとし、天皇の公的行為については、各行事等の趣旨、内容のほか、天皇陛下が御臨席等をすることの意義や国民の期待など、さまざまな事情を勘案し、判断していくべきものと考えると述べております。
 この二〇一〇年二月十八日の政府統一見解は安倍内閣も踏襲しているということでよろしいでしょうか。

○菅国務大臣 お尋ねの政府統一見解においては、公的行為はさまざまなものがあり、それぞれの公的行為の性格に応じた適切な対応が必要となることから、統一的なルールを設けることは現実的ではない、公的行為については、各行事等の趣旨、内容のほか、天皇陛下が御臨席等をすることの意義や国民の期待など、さまざまな事情を勘案し、判断していくべき旨を示したものであります。
 公的行為に関するこれらの考え方については、現在においても変わりはありません。

○塩川委員 天皇の公的行為について、その意義、国民の期待など、さまざまな事情を勘案し、判断するということであります。その判断するというのは、時の政府ということになるわけであります。
 二〇一〇年、当時野党だった自民党の下村博文議員は、「天皇の公的行為について内閣が責任を負うということは、時の内閣あるいは党派の都合や政治判断で天皇を意のままに動かしていいということを意味するものではありません。」「我々は、明らかに今回のケースは政治利用だと考えています。」と述べています。
 この指摘は重要であります。時の政府がさまざまな事情を勘案し、判断して、天皇の公的行為を決めるといいますが、それが政治利用にならない、そういう担保というのはどこにあるんでしょうか。

○菅国務大臣 天皇の公的行為には、国政に関する権能が含まれていないこと、内閣が責任をとるという行為でなければならないこと、象徴天皇としての性格に反するものではならないこと、こうした限界が存在をするものと考えております。
 いずれにしろ、これらを踏まえ、各行事等の趣旨、内容のほか、天皇陛下が御臨席等をすることの意義や国民の期待など、さまざまな事情を勘案して判断していくべきものと考えます。

○塩川委員 国政に関する権能を有しない、そういうものとして内閣が責任を負うということでありますけれども、天皇の公的行為が憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮すべき責任を内閣が負っているということでありますが、二〇一三年、第二次安倍内閣のもとで天皇の政治利用が問題になっています。
 安倍首相が二〇一二年末に政権復帰した翌年、サンフランシスコ講和条約が発効した四月二十八日に、政府主催の主権回復を記念する式典を開催し、天皇の出席を求めました。
 一九五二年四月二十八日に発効したサンフランシスコ講和条約と日米安保条約によって、日本は、形式的には独立国となったものの、実質的にはアメリカへの従属国の地位に縛りつけられていたというのが歴史の真実であります。また、沖縄にとっては、本土から切り離され、アメリカ占領下に置かれた屈辱の日として記憶され、その後の本土復帰運動が始まったのであり、主権回復の日というのは事実と異なります。にもかかわらず、自民党の伝統と創造の会が中心となって主権回復記念日制定議員連盟をつくり、運動をし、野党時代の自民党方針に盛り込んだのであります。
 このような政府主催で式典を開催することについて、国民的合意が存在していないことは明らかでした。これは、下村議員が指摘をした、時の内閣あるいは党派の都合や政治判断で天皇を意のままに動かした政治利用だということになりはしませんか。

○菅国務大臣 天皇が行う公的行為とは、自然人としての事実行為のうち、象徴としての地位に基づいて公的な立場で行われるものであり、天皇の御意思に基づき行われるべきものであるが、内閣が、これが憲法の趣旨に沿って行われるよう配慮する責任を負っているものであります。
 さらに、先ほど申し上げましたように、こうしたことを踏まえて、天皇陛下が御臨席する等とすることの意義や国民の期待など、さまざまな事情を勘案して判断すべきものでありますので、判断をしたということであります。

○塩川委員 この点についての明確なお答えがありませんでした。
 下村議員の指摘をしているような、時の内閣あるいは党派の都合や政治判断で天皇を意のままに動かした政治利用だ、こういうことになりはしないのか。この点について、改めてお尋ねしたいと思います。

○菅国務大臣 今申し上げたとおりです。

○塩川委員 沖縄県民にとって、四月二十八日は屈辱の日ということで、祖国復帰を目指して闘い抜いてまいりました。そういう日を、政府主催の式典で行い、天皇の出席を求める。これはまさに国論を二分するような問題で、天皇を引っ張り出すことが問題となったわけであります。このように、公的行為は政治利用に使われてきたという問題が問われています。
 したがって、今回の退位の立法の中に公的行為を書き込み、その全てを肯定するようなことはやるべきではない、このことを申し上げて、質問を終わります。