日付:2014-08-26 |
「しんぶん赤旗」8月26日付・首都圏版掲載
私が生まれ育った土地(埼玉県日高市下大谷沢)では、お盆の時期は7月23日から25日。新暦のお盆の時期の10日遅れです。ちょうど梅雨が明け、学校が夏休みに入るころ。虫捕りや川遊びなど楽しみいっぱいでした。今でも実家のすぐそばのお墓に盆迎えにいくときは、子どもの頃のなにか浮き立つような気分を思い出します。
なぜお盆の時期がずれているのか。それは養蚕のためでした。1年間に複数回、養蚕をしており、夏蚕と初秋蚕という繁忙期をはずしてお盆があったのです。農家の貴重な収入源だった養蚕業が暮らしに深く根付いていました。私が生まれた家は、昭和初期に建てた2階建ての家でしたが、その2階部分はすべて蚕棚でした。筵 (むしろ)に敷いた桑の葉を蚕がシャクシャクと食(は)む音をいつも聞いていました。でも私が小学校にあがるころから、わが家を含めほとんどの農家がやめてしまいました。養蚕では食べていけないということだったのでしょう。
だから養蚕業に関わる富岡製糸工場が世界遺産になったのはうれしい限りです。遺産の構成資産である荒船風穴は自然の冷蔵庫として蚕の卵を保存し、年に複数回の養蚕を可能にしました。お盆の時期がずれた背景には、このような技術の蓄積があったのかと得心しました。
同じ虫でも、男の子は蚕よりカブトムシやクワガタが大好き。たくさん捕まえて、東京のいとこの家のご近所で、I匹100円の値段で売り歩いたこともありました。子どもにとっては、蚕よりカブトムシのほうが収入になったのかもしれません。