原点は憲法 筋通す論戦
2000年の総選挙で初当選、以降連続当選し現在9期目です。戦後の全衆院議員の中で、委員会発言回数・出席回数は4位、現職ではトップ(民間作成の「国会議員白書」)。党議員団の論戦を引っ張ってきました。
マイナンバー制度の追及でも、財界の要求を見抜き官民の癒着を暴露する等、論戦の先頭に立ってきました。
19年の台風19号では県議と連絡を取り事前に埼玉県へ災害救助法適用を働きかけ、迅速な適用につながりました。これにより、避難費用や、住宅の応急修理費用が国と県の負担で支給されました。
15年の関東東北豪雨災害の際、栃木県では住宅応急修理制度の適用は0件でした。地元議員団と自治体へ働きかけ、台風19号では2500件以上に。
「強い官邸」と対峙(たいじ)し、国会の運営全般について各党間で協議する議院運営委員会。議運での発言は、他党議員や院事務局も「塩川議員が言うならば」と影響力が抜群です。
原点は憲法。「国民主権の議会制民主主義において、主権者国民に『開かれた国会』が重要で、政府行政を監視監督することが国会の重要な役割」「憲法が根底に存在しているからこそ、筋の通った論で問題と正面から向き合うことができる」
しおかわ・てつや 1961年、埼玉県生まれ。衆院議員9期。国会対策委員長、党幹部会委員。
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(不定期ですが、更新中)
政治へのこころざしは、平和へのねがい
東京都立大学に入学、「南北間題」や戦争について疑問を抱き、「自分になにができるのか」真剣に考えていたとき、「独立・平和・非同盟中立の日本を」「アジア・アフリカの人々とともに生きていく日本」という日本共産党の理念に感動し入党。
自治会役員として主催した「平和集会」で、「水をもとめて逃げまどう被爆者、死体の頭から脳みそがぷるぷるふるえ、まるで豆腐のように白かった。原爆がどれほど人間の尊厳を奪うものか」との被爆者でもあった教授の話に構内はシーンと……。
「戦争を二度とくりかえしてはいけない」の強い思いが、核廃絶の運動や所沢の米軍通信基地返還運動など「平和の原点」となっています。
まじめに働く人が報われる社会を
戦後の民主化の時代に村長をつとめた祖父や、情熱をもって農業に生き、励む父の姿をみて育ち、農業だけでは生活していけない、いまの自民党農政に疑問をいだき、「まじめに働く人が報われる社会を」と強く願うようになりました。これが、失業問題の解決や、中小企業や農業が"主人公"となる経済政策の実現めざすエネルギーとなっています。
小学生のとき、道端に捨てられたたくさんのあき缶が気になつて"なぜ自然を汚すのだろう"とドラムカンいっぱいのあき缶を集めて、「これ、どうするの?」と母親に叱られたことも。
この思いと行動力で、環境問題の解決や原発ゼロの実現に全力をつくします。
家事・育児にも責任をもち
「働く妻が、生きがいをもって仕事をすることを応援したい」、そんな思いで3人の娘の子育てなど、家事も仕事も責任をもってがんばっています。子どもたちやお年寄りが希望をもって生きられる21世紀を実現するために情熱をかたむけています。